2011年8月9日火曜日

組み合わせる

とりあえず1つの空間に1つの香りを取り入れてみるという方向に決めたので、ホスピタルアートと香りを組み合わせについて考えてみようかと。

まずどこに取り入れるかですが、病院の業務に差支えがない場所が前提となってきます。病院の器具に装飾したものは論外ですし、診察室からある程度離れた場所であることも重要となってきます。ロビーや廊下の壁、あるいはホスピタルギャラリーとして展示場所を確保しているところになると思います。

ただ問題点として香りが苦手という人もいるということでしょうか。
音は余程うるさくなければ嫌いな音楽が流れていても走って逃げるまでには至らない気がしますが、私の知り合いに化粧品の香りが苦手で、化粧をしている人のそばにいるのがつらいと言っていた方がいます。以来香りは他のものより敏感になりやすいのかもなぁと。
現在主流のホスピタルアートの場合、作品を見に来るより、病院に用事があってそのついでとして見ることが圧倒的なので、よりいっそう配慮が必要だと感じます。最初から香りのする作品と思って見に来るのと、急に香るのとでは印象が大分変わってくると思いますし。

・・・香るスペースを明確にしておくことを考えると、ホスピタルギャラリーのようにアートスペースが別枠としてとられている場所を利用するのが現実的なのかなと思います。
ただ徳大病院はアートスペースといっても誰もが通る廊下をギャラリー利用している状態なのでちょっと難しいですかね。でもそもそも香りを避けることを考えている時点でみんなが一緒に楽しめるわけではないような。
病院で香りを取り入れる場合に限っては、個別に対応していく方が良いのかもしれない。


もし個人的に連絡する気力がでたら兵庫県の製鉄記念広畑病院に一度行ってみたいなーと。
ここサイト内に、ギャラリー使いたい地元の方は連絡下さいって書いてあって、地域交流としてホスピタルギャラリーがちゃんと確立されてるのがすごいと思う。

2011年7月23日土曜日

サイアノタイプ技法の活用

サイアノタイプ技法というのは紫外線による鉄の還元を利用した写真・複製技法です。以前は機械図面や建築図面の複写として使われていたそうですが、現在は実務に使われることはほとんどなく、科学教材やアート作品として一部利用されている程度とのこと。
特徴は綺麗な青色で、光の当たる度合いによって濃淡が変わってきます。費用はかかりますが、行程はわりと簡単で、ネガや植物など模様になりやすいものを試薬にひたした紙の上におき、太陽光で露出し、洗って乾かすだけ。紙だけではなく、布や石、木材にもプリントできるというメリットもあります。

で、このサイアノタイプ技法を映像デザインという授業で実際にやってみたんですが、ホスピタルアートに使えないものかとふと思いまして。

以前香川小児病院のホスピタルアートについて触れましたが、参加した子供の感想を見ていて、こういった参加型ホスピタルアートで重要なのは、患者さん自身に分担があることなのかもしれないなと。絵を描くのが楽しいだけでなく、自分にもできることがあるのが嬉しい。
ただみんなでひとつの作品を完成させる場合の問題点として、個人の得意不得意で出来に差がでてしまうことが考えられます。みんなで一緒に楽しめば良いという人と、クオリティを重視する人の間で温度差が生まれる可能性があるかもしれない。

ここでサイアノタイプ技法なのですが、作品を作る際にも作業が簡単なので技術にあまり差がでないのではないかと。各自好きなものを置いても図が綺麗に浮かび上がるし、光の照射時間や明暗によって濃淡が違ってくるので、既存の模様を利用しても同じ作品にならないです。また、色が青のグラデーションに限定されるので、一人一人がばらばらに作ったものを並べても統一感がでます。

あと色についてちょっと思ったこと。
銀島さん曰く青というのは色覚障害があっても判別しやすい色なのだそうで。サイアノタイプによる青色なら発色が良く、暗くなりすぎないので色覚障害があっても、制作と作品両方楽しめそうだなと。またれみれみさんが色の持つイメージについて書いてましたが、 青は清涼感があるので病院のイメージを損なわずに展示できます。
展示については、壁に直接描くのと違って作品の入れ替えができるというメリットも。

試薬を使う下準備は事前にすませておき、安全面にしっかり考慮すれば、患者さんのための参加型ホスピタルアートとして十分成り立つのではないかなと思います。

参考:
Wikipedia 青写真の項目(2011/07/23)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%86%99%E7%9C%9F 

Noriaki Hayashi Art Works(2011/07/24)
http://nori884.net/index.htm
こちらはサイアノタイプについて調べてて気になったものもの。
この人の作品で10cm四方の紙をタイルのように並べているものがあるんですが、
病院の壁でこういった展示をしてみても良いのではないかなーと。

2011年7月19日火曜日

香りの可能性について

前回の続きです。芸術体験を共有する手段として香りを利用する場合、どういった活用ができそうかについて考えてみます。
基本的にはアート作品をイメージさせる香りを発生させてそれを楽しむという形態で、作品自体に香りをつけるか、空間そのものに香りをつけるかを選択することになると思います。

ここでヒトの嗅覚の仕組みをちょっと確認しておきます。
ヒトがにおいを感じるのは、においに対する受容体ににおいの成分となる分子が刺激を与えるからです。受容体は鼻腔内の嗅粘膜に嗅細胞というのがあるのですが、その先端に10〜30本ある繊毛(医学的には線毛とするらしい。私も線毛で習った気がする)に存在します。
つまりヒトの目には見えないけどごくごく小さい物質がにおいの元で、香りをこちらでコントロールしようとする場合、この物質をどこかから持ってくるなり作るなりしないといけないということになります。
ただこの物質は必ずしも現物のにおいとは限りません。例えば、バラの香りの商品が発売されているとき、バラそのものが入っているのではなく、Geraniolというバラに似た芳香を持っているモノテルペノイドを使用するといった具合です。

アートへの利用を考えた場合、もし作品を表す香りを持った物(花や食べ物など?)があっても、直接現物を持ちこめなかったり、香りが次第に変化してしまうようなものよりは、「〜っぽい香り」の物質を作って用いるのが良いのかなと。

ただ展示の問題として、1つの空間に同じ芸術家の作品があるのか、多数の芸術家の作品があるのかによっても変わってきます。作品ごとに違う香りをつける場合、隣り合う作品との兼ね合いが大事で、香りの強さ、ある程度の間隔をあけることが必要になってきます。
音の場合も同じですが、目に見えないものをプラスする場合、いかに競合させずに協和させるか重要になってくるかと思います。

嗅覚は他の感覚に比べて比較的長い時間私たちの記憶の中で記憶を維持できるらしいとのことですが、例えば昔懐かしい香りといってもひとつひとつ鮮明に覚えているわけでありませんし、作品っぽい香りをひとつひとつ作っていくよりは、全体の作品を通してイメージされる香りを展示室という空間で体験した方が、「ひとつの香り」が「誰とどこへ何を見に行った」という記憶として鮮明に残るのではないかと考えます。

アートからは離れますけど、家の香りというのも利用できそうな気がします。普段は気に留めていなくても、病院や老人ホームなどでの生活を余儀なくされた場合、部屋が家の香りになるだけで落ち着いて生活できる、ということもあるのかなぁ・・・と思ったり。

参考:
ビジュアル生理学(2011/07/19)
http://bunseiri.michikusa.jp/

日系ビジネス 「香り」「匂い」をカタチにするとどうなる?(2011/07/18)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100827/215998/

日本化学物質辞書web weblio学問 geraniolの項目(2011/07/19)
http://www.weblio.jp/content/geraniol

Wikipedia 繊毛、線毛の項目(2011/07/19)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%8A%E6%AF%9B
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%9A%E6%AF%9B

2011年7月18日月曜日

においと生活と

においにユニバーサルデザインってあるのだろうか・・・?
自分のグループがユニバーサルデザインという方向性に向かい始めたとき、色や音があるなら、嗅覚関係もあるのではないかなと思ったのが、このブログで取り上げてみようと思ったきっかけなのですが。

ちょっと調べてみると、においを共有しようという試みが色々と行われていることが分かりました。
特に気になったのは以下の「香りとユニバーサルデザイン」のコラム。
http://www.uchida.co.jp/company/universal/column2-5.html
内田洋行というオフィス、教育現場、情報関連の事業を行っている企業のユニバーサルデザインに関するページから見つけてきました。

先天的に聴覚障害だった女の子が、絵本やマンガで読んだ擬態語が実際にある音だと思っていたという話がすごく心に残りまして。
星ってぴかぴか、きらきらと表現されることがわりと多いと思うんですが、それは単なる表現であって実際そういった音は聴こえないというのは、音が聴こえているからこそ分かることなのだなと。
音がないだけで情報がいかに限定的になってしまうか、という現実を改めて意識しました。

確かににおいって結構重要な気がします。
においによってこれは危ないって感知していることもありますし。
例えば火山ガスに含まれる硫黄成分等が多いほど動植物の致死率が上がりますが、ものすごい腐乱臭になるので、逆に気づくのも早くなります。日常生活でもガス漏れに気づくきっかけはガスのにおいによるものです。
最近は消臭ブームなのかなんなのか、においというものに対して過剰になっているところがある気がしますが、ヒトにとって不快なにおいを感じられるというのは、ある意味、危機を察知するスキルの向上にもつながっていると思うんですけどね。

また自分の体験だと、においを一番意識するのは風邪のときでしょうか。
鼻がつまってにおいがなくなると食べ物の味が分からなくなります。
甘いとか辛いとか酸っぱいだとかはっきりした味は分かるんですが、旨味がないというか単一的にしか感じられないのですね。
そういうとき「おいしい」って思うのは見た目と味だけではなくて、においも関係しているのだろうなぁ・・・と。

嗅覚を感じられるなら、誰にでも同じにおいが入ってきます。それは障害があってもなくても国が違っても世界共通と言えます。ただそのにおいに対する感じ方は人によって違うので、そこから得られる情報は異なりますが。

あと、ふと思ったのが「におい」と「香り」って言葉のニュアンスについて。
良いにおいには「臭い」は使わないけど、「匂い」ならどちらでも使っていたり、逆に不快なにおいには「香り」は使わなかったりとか。
そんなわけでここまで「におい」という言葉を使ってきたのですが、実際に芸術への適応を考えるとしたら「におい」のように良し悪しどちらも考えられる言葉よりは「香り」を使った方が無難のような気がしますね・・・。

そんなわけで同じ芸術を体験を共有する手段として「香り」を利用する場合、実際どういった活用ができそうか私なりに考えたことをまとめておきたいと思います。次回。

2011年7月4日月曜日

アートへの関わり方

わりと気軽に見に行ける展示はないのかな? と思って調べているうちに、私が今まで考えていたホスピタルアートとは違った形のものを見つけました。
今回はその違いから今後のアートへの関わり方について考えてみたいと思います。

私が最初に見たホスピタルアートは、芸術家の方が病院に入って行くという形でアートとして成り立たせており、単純に「病院でアート作品を見ることができる」のがホスピタルアートなのだと考えていました。以前見てきた森口ゆたかさんの展示も、徳大病院のホスピタルギャラリーもその領域です。
しかし2010年の香川小児病院におけるホスピタルアートでは、写真家である森合音さんという方が中心となり、入院患者さんも一緒に壁に絵を描いて作品を完成させていました。これは今まで私が考えていたものとは違うなと思いまして。

何が違うかというと、前者は受動的なのに対して、後者が能動的である点です。
ホスピタルアートという言葉自体まだ知名度が低く、作品の数も少ないですが、私が見た限りでは基本的に受動的なものが多いように思います。
実際、誰が制作を行っているかというと、芸術大学の学生や講師であったり、もしくは地元の芸術家やボランティアの方々であったり、患者さんはアートというものを提供されている状態です。

ここで一言つけたしておきますが、受動的な展示形態が悪いということではないです。参加するより見るのが好きという人もたくさんいると思いますし。
制作がどういう形で行われるかというのは、病院側がどういった目的でホスピタルアートを行おうと思ったかにもよるのではないかと思っています。

展示場所に注目すると対象者や目的がなんとなく分かるのではないかと。
例えばロビーは患者さんだけでなく、お見舞いや付き添いに来た人も気軽に見ることができます。これは待ち時間を快適にすること、病院に対するイメージアップが考えられる。治療室の場合も機械に装飾するなど、これも冷たい機械の印象を払拭するといった意味合いが強い。また展示室、所謂ホスピタルギャラリーという形態をとっている場合、地元の作家さんの展示を中心にしていることが多く、地域との密着にも重点を置いているように感じます。
さらにこれらの展示が玄関から奥になるほど、病院への関わりが強い人のためのものと言えます。

最初は病院という空間の快適さを求めるものだったのが、次第に地域の方との交流へと広がり、さらに患者さん自身が参加することで自分で自分の心を癒していけるように、ホスピタルアートも多様化してきているのではないかと思いました。

去年LEDアートフェスティバルに参加してきましたが、展示形態として、イベント参加者自身が作品の一部になったり、参加者も作品づくりに携わるといった体験型のアート作品というのがありました。観光として地域とアートが一体化しているものなど、近年、体験型アートは増えてきているように思います。
この先、ホスピタルアートも入院設備のある病院を中心に患者さんと一緒に作品を作っていくものも増えてくるのではないかなと。
病院にいてもアートに参加できるというのは、誰もが楽しめる芸術を目指す上で大きな意味があるように感じます。


と、ここまで説明するのに伝わりやすいと思ったので「作品」という言葉を使ってきたのですが、私の方がホスピタルアートを作品と呼ぶのに違和感がありまして。
芸術としては作品で良いんですが、単なる作品の展示でなく、病院にアートを加えて創られた環境を果たして作品という言い方で括っていいのだろうかと思ってしまう。

自分でもなんでだろうと思ってここしばらく考えてたのですが、芸術そのものに対するイメージが関係しているのかもしれないですね。
ずっと娯楽として展示を見に行くという接し方を続けてきたので、娯楽としての芸術作品と医療を組み合わせてしまって違和感を感じている気がする。もっと芸術に対して様々な面があることを理解して、柔軟に受け入れていかねばと思います。


参考:
artsproject(2011/07/04)
http://www.arts-project.com/hospitalarts/project/project16/index.html

日テレNEWS24 心の薬「ホスピタルアート」香川・善通寺市(2011/07/04)
http://www.news24.jp/articles/2010/02/18/07153795.html

2011年6月27日月曜日

このブログについて

一番最初の記事にも書きましたが、このブログはホスピタルアートについて調べるのと同時に、学校の授業内で結成したグループで「芸術と技術の融合」というテーマについて考え、各自の視点によってブログの内容を分担したうちのひとつになります。

まず最初にどういった内容を取り上げるかを話し合ったとき、メンバーそれぞれが例としてあげたものが違い、ひとつの例のみにしぼって提案していくのは難しいと感じました。
そこで融合するとどうなるのか考えてみると、それは生活が便利になったり、人との関わりが生まれることで、最終的には誰もが生活しやすい空間を作ること、すなわちユニバーサルデザインの考え方が重要なのではないかと。
その中でも特に芸術というものに焦点をあて、『全ての人が楽しめるような新しい芸術形態』を模索していくという方針になりました。

ただ各自がそれぞれ違う内容でブログを書き始めたこともあり、先週の発表では各自の分担が分かりにくいと指摘を受けたので、今週はメンバーに相談してカテゴリ分けを再度考え直しました。使いやすさ、色、音、においなどユニバーサルデザインを考えていけそうな部分ごとに分け、元々の各自の記事に関係するものを足していくという形をとることに。

そんなわけで先週から今週にかけてこのブログの存在意義について考えていたのですが、色々と調べているうちに、私のユニバーサルデザインに対する意識が随分偏っていることに気づきました。
そういえば徳大病院のホスピタルギャラリーでは鳥の展示だけでなく、鳥の声が聞こえていて、目が見えなくてもそこに鳥の空間を感じられる配慮があったのだなと思いまして。
前回の記事で、病院にも展示があれば入院患者さんの気晴らしにも良さそうと気軽に書いてしまったのですが、手足が不自由な方を前提としていて、視覚や聴覚といった器官に障害がある場合のことを考慮できていなかったなと。
もっと様々な人に配慮できるよう意識を高めていく必要があると感じました。

で、このブログなのですが。
ホスピタルアートというのは一つの芸術のあり方であって、技術と結びついたものとはやはり言えないですね。障害がある方が技術によって生活しやすい環境になるのは、ユニバーサルデザインそのものの領域になってしまいますし。
なので、ユニバーサルデザインを考えるにあたって、医療現場で実際どういう配慮が行われているか示すこと、さらにホスピタルアートに技術を加えることでより良い展示形態がとれないか考えてみようかなと。

音や色については他メンバーが担当してくれるので、私はにおいという視点から。
嗅覚は視覚や聴覚より好き嫌いが割れそうなので、すべての人に心地よい香りというのはおそらく難しいですが、同じ空間を共有する一つの手段として使えないか検討してみたいと思います。
ここ1年悩んできた芸術と化学を組み合わせる目標にもちょっと近づいてきた気がする。

2011年6月19日日曜日

ホスピタルギャラリー

昨日、徳島大学病院にあるホスピタルギャラリーbeを見てきました。
一般向けに開放されていて、病院そのものに用事がなくても展示を見ることができます。
今は前田誠之助さんという方の写真や木彫りの鳥の作品が展示されていました。

「徳島の鳥たち バードカービング展」
日時:2011年6月1日ー2011年9月30日
場所:西病棟1Fロビー ホスピタルギャラリーbe
 
病院の中にギャラリーがあるってどんなだろうと思って見に行ったのですが、期待より緊張がちょっと上回ってた感じでしょうか。普段こちらの病院にお世話になる機会がなく、さらに工事中ということもあってどのルートを通れば良いのか迷ってしまい、内心あたふたしていました。
 
受付をこえると、白い壁に黒基調の展示ケースがあり、中のカラフルな鳥たちが目をひきます。 
木彫りだけでなく、鳥を紹介するコメントにもこだわりを感じました。思わず笑ってしまうような内容もあって面白かった。私はヤマガラという鳥の作品が好きです。

またどこからともなく鳥のさえずりが聴こえてきて、病院にいることを忘れさせます。どちらかというと無機質な展示場ですが、鳥の材質が木ということもあって全体的にぬくもりを感じさせる空間になっていました。
外来患者さんの受付のある通路ということもあって人通りも多く、様々な年代の方が展示を見るのに足をとめているのが印象的でした。


とはいえ、普段見に行ってるようなギャラリーとは勝手が違いますね。
実際に行く前にこのギャラリーの展示を見に行かれた方のブログを見ていたら写真が載せられていたので、作品の写真も気軽に撮れるところなのだろうかと思っていたのですが、 何も書かれていなくて、あれ?って思いましたし、誰かに聞こうにも近くにあるのは患者さんのための受付ですし・・・。 
作品として展示されている以上、確認がとれないままブログには載せられないなと判断。

また展示だけ見に来る人というのも少なそうです。
病院併設というだけあってちょっと展示を見に来るには敷居が高いかもしれない。
私の興味のある展示もたくさんやってたみたいなんですが。

元々のコンセプト
「患者様にいかに快適な治療・療養環境を提供できるか」
「職員にはいかに快適な職場環境を提供できるか」 
ということなので、そのコンセプトを再確認してきた気がします。病院での待ち時間の時間つぶしや、病院が苦手な子の意識改善、入院されている方の気晴らしに良さそうだなと思いました。

ただ誰でも見に来れるというのは、気軽に楽しめる一方で、医療機関としての安全性は低くなります。病院は一人一人を管理する空間ではないですが、教育機関での関係者以外立ち入り禁止の増加と比べると対照的だなと思いました。そういった時世であることを考えると、気軽すぎないのが丁度良いかもしれません。

徳島大学病院には、ギャラリーの他にも、一般の方向けに解放されているレストラン「ウェルカ」があって、こちらもまた機会を見つけて行ってみたいのですが、何も用事がないときに病院に出かけるというのはなかなか気力がいりそうだなと。
まあそう思ったことを忘れてふらっと出かけるのが私なんですけどね・・・!

このギャラリー2009年に出来たらしいのですが、最近調べるまで全然知りませんでした。まだ大阪にいた時期で、徳島のニュースなどチェックしていなかったのがまずかったですね。気になる展示を見逃してしまったのが残念かな。
定期的にいろんな展示をやっているみたいなので、もし立ち寄る機会があれば一度見てきてほしいなと思います。


参考:
フォーラム国立大学病院

徳島大学病院イベント案内

2011年6月13日月曜日

日常を再構成すること

地域文化に関する授業で、観光によって文化が再構成されるという話があったのですが、そのことでちょっと思うことがありまして。
バリは「最後の楽園」として欧米により再発見され、観光開発されているが、それはバリそのものというよりはバリのイメージを追い求める観光客のためのものである。伝統的な純粋なバリ文化ではなく、より観光客から見てバリらしいと思うものの抜きだしであり、それが加速することでバリに住んでいる人たちが、観光的なイメージに自分たちを合わせようとしてしまうことがあるのを「バリのバリ化」という。また日本でいうと、例えば大阪は「こてこての大阪」と言われるまさに大阪という文化があるが、もし大阪に住んでいる人が観光を意識して自分たちをその「こてこて」に合わせようとするなら、それは「大阪の大阪化」とも呼べるかもしれないね、といった内容。

このそれらしく合わせようとしてしまうという言葉がひっかかるのですね。
アートって、日常を非日常的に再発見できるものだと私は思っているのですが、再発見が再構成になってしまうと、本来のものとはやはり違ってしまうのではないかと。
去年、瀬戸内国際芸術祭2010を見てこようと思って、直島、男木島、女木島に行ってきたんですが、私は島の人たちの生活にアート要素を加えたものを見ているわけで、そういう組み合わせが面白いと思って見ていたけれど、もし島の人たちが本来の生活でなくアートに自分たちを合わせてしまったとしたら、それは何か違うなと。島の島化・・・いやアート島のアート島化か。それも含めて文化になってしまえば、もうそんな心配しなくて良いのかもしれないですが。

ホスピタルアートもそういった可能性があるのではないかと思いまして。
医療にアートを加えていくことで、医療が親しみやすいものになって、でもそれだけではないなと。医療はやっぱり医療で、それを支える人たちは、人の命を扱うからこそ絶対に間違えられないという状況で仕事をしていることを理解して接する必要がある。実際、見えない部分ですごく厳しい。
うまくまとまってなくて申し訳ないんですが、良い部分の抜粋だけではだめだと思うわけです。

新しいものを加えることで本来のものが変化していくのを良いと見るか、本来のものをどれだけ残していくかって難しい。伝統工芸等も然り。
芸術と技術が融合して絶対に良くなるとは限らなくて、互いの兼ね合いが大切なのかなと思います。

2011年6月9日木曜日

回想する

前回の記事でも書きましたが、先日森口ゆたかさんという方の展示を見てきました。

「森口ゆたか−あなたの心に手をさしのべて」
期間:2011年4月29日ー2011年6月26日
場所:徳島県立近代美術館

この展示で、大阪市立大学付属病院プロジェクト<あなたの”いのち”を支える手>で使われたタペストリーを見ることができました。
実際にこれが病院にあったのかーと思うと、なんとなく不思議な感じが。
もし自分が現場の人としてこれを見ていたらすごく照れくさいだろうなと思ってしまう。

アートの面白いところは、現場の人にとっては当たり前でも、それが当たり前でない人はたくさんいるということに気づかせてくれるところだと思います。 昔の私にとって化学ってそこらへんに転がってるようなものだったんですが、去年買った黒田武志さんの『不純物100%』という作品集の中に化学記号が使われている作品があって、化学をすごく神秘的にとらえているように思えて、ちょっとした衝撃を受けたのを覚えてます。

医療って表に見えないところでもたくさん人が働いていて、支えられていて、そういうことをもう一度再認識させてくれるのではないかと思いました。

ホスピタルアートではないですが、他の作品もとても素敵でした。
本当は別の展示を見たついでにふらっと立ち寄ったんですが、見てきて良かったなーと。
暗い空間を作品に沿って進んでいって、ガラスの部屋に辿りついたとき、人の体内を巡っているようななんともいえない気分になりました。人のつながりとか存在とかぼんやりと思い浮かぶような感覚。
丁度そういうことについてそのとき考え込んでいたので、昔も今も支えてくれる手がたくさんあったこと、あることを体感してきた気がします。

と、作者の意図とは違うかもしれないんですが、私はそんな感じで見てきました。
 <LINK>と<あしたの景>という作品が好きだったのでおすすめしておきます。
6月26日まで開催されているので、お時間のある方は良かったら見に行ってみて下さいなー。

ホスピタルアート

医療と芸術の組み合わせからホスピタルアートについて調べてみようと思ったのですが、そもそもホスピタルアートってなんぞやという話です。

私がこの言葉自体を知ったのは本当につい最近で、今、徳島県立近代美術館で、森口ゆたかさんという方が展覧会をされているのですが、病院や医療福祉現場にアートを届ける活動をしていらっしゃる方で、実際のホスピタルアート作品の一部や、それに影響を受けた作品を見て、こういう概念があるのだなと初めて意識しました。

そういわれてみれば、近場だと徳島大学病院にもホスピタルギャラリーってあったなと。
詳しく定義を知らなかったので、とりあえずネットでざっくりと調べてみたところ、どうやら日本では最近広まってきているアートの在り方のようで。
  
『外部から寄贈された絵画を壁に飾るだけでなく、病院側が主体的に絵画や音楽などの芸術を取り入れ、患者の視点にあった施設の環境改善に取り組む動き。芸術の力を借りて、患者の心を癒す方法が注目されている。欧米で約30年前に広まったが、日本でも最近小児科を中心に導入する病院が増えている。
絵画や造形作品だけでなく、音楽や映像など幅広い分野の芸術を通して医療現場を快適な空間にすることを目指す動きでもある。』
参考:http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2006000337(2011/06/09)

これだけ見ると芸術ではあるけど、技術的な側面はなさそう・・・に思えます。
それでも、あえてこのテーマを選んだのは、直接的でなくても医療技術に関する問題と、芸術というものが融合することで出てきたアートの新しい形だと感じたからです。

医療技術というのはアナログ、デジタル両方の側面を持っていると思います。
直接自分の目で見て診断する、機械を使って診断する。
機械化されて診療がどんどん便利になる一方で、患者さんだけでなく医療機関の内部でも深く話す機会が減ってきて、互いの信頼関係が希薄になっている気がします。私は昔から医療がすごく身近な存在だったけれど、いざ実際に自分が勉強してみたとき、思ってたのと違うなあ・・・と。

現場を快適にすることは、互いの関係をより良くすることにもつながるのではないかと。このあたりを掘り下げていくことで、これから先自分のやっていきたいことが見えてくると良いなと思ってます。

2011年6月6日月曜日

はじめに

学校の授業の一環で、グループごとにテーマを決めてブログを書くことになりました。
私のグループでは「芸術と技術を融合を提案する」ことについて。

芸術と技術の融合というと、すごく幅がある。
私は数年前に化学や医療を専門とする学校にいて、そこをやめて今の大学にいるのですが、医療そのものにやはり思い入れがあるので、医療方面から美術と結びついていく過程について考えてみたいなと思っています。

このブログでは、それについて私なりに調べたこと考えたことを書いていく予定です。
ゆるく活動しますのでよろしくお願いしますー。