地域文化に関する授業で、観光によって文化が再構成されるという話があったのですが、そのことでちょっと思うことがありまして。
バリは「最後の楽園」として欧米により再発見され、観光開発されているが、それはバリそのものというよりはバリのイメージを追い求める観光客のためのものである。伝統的な純粋なバリ文化ではなく、より観光客から見てバリらしいと思うものの抜きだしであり、それが加速することでバリに住んでいる人たちが、観光的なイメージに自分たちを合わせようとしてしまうことがあるのを「バリのバリ化」という。また日本でいうと、例えば大阪は「こてこての大阪」と言われるまさに大阪という文化があるが、もし大阪に住んでいる人が観光を意識して自分たちをその「こてこて」に合わせようとするなら、それは「大阪の大阪化」とも呼べるかもしれないね、といった内容。
このそれらしく合わせようとしてしまうという言葉がひっかかるのですね。
アートって、日常を非日常的に再発見できるものだと私は思っているのですが、再発見が再構成になってしまうと、本来のものとはやはり違ってしまうのではないかと。
去年、瀬戸内国際芸術祭2010を見てこようと思って、直島、男木島、女木島に行ってきたんですが、私は島の人たちの生活にアート要素を加えたものを見ているわけで、そういう組み合わせが面白いと思って見ていたけれど、もし島の人たちが本来の生活でなくアートに自分たちを合わせてしまったとしたら、それは何か違うなと。島の島化・・・いやアート島のアート島化か。それも含めて文化になってしまえば、もうそんな心配しなくて良いのかもしれないですが。
ホスピタルアートもそういった可能性があるのではないかと思いまして。
医療にアートを加えていくことで、医療が親しみやすいものになって、でもそれだけではないなと。医療はやっぱり医療で、それを支える人たちは、人の命を扱うからこそ絶対に間違えられないという状況で仕事をしていることを理解して接する必要がある。実際、見えない部分ですごく厳しい。
うまくまとまってなくて申し訳ないんですが、良い部分の抜粋だけではだめだと思うわけです。
新しいものを加えることで本来のものが変化していくのを良いと見るか、本来のものをどれだけ残していくかって難しい。伝統工芸等も然り。
芸術と技術が融合して絶対に良くなるとは限らなくて、互いの兼ね合いが大切なのかなと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿