2011年7月23日土曜日

サイアノタイプ技法の活用

サイアノタイプ技法というのは紫外線による鉄の還元を利用した写真・複製技法です。以前は機械図面や建築図面の複写として使われていたそうですが、現在は実務に使われることはほとんどなく、科学教材やアート作品として一部利用されている程度とのこと。
特徴は綺麗な青色で、光の当たる度合いによって濃淡が変わってきます。費用はかかりますが、行程はわりと簡単で、ネガや植物など模様になりやすいものを試薬にひたした紙の上におき、太陽光で露出し、洗って乾かすだけ。紙だけではなく、布や石、木材にもプリントできるというメリットもあります。

で、このサイアノタイプ技法を映像デザインという授業で実際にやってみたんですが、ホスピタルアートに使えないものかとふと思いまして。

以前香川小児病院のホスピタルアートについて触れましたが、参加した子供の感想を見ていて、こういった参加型ホスピタルアートで重要なのは、患者さん自身に分担があることなのかもしれないなと。絵を描くのが楽しいだけでなく、自分にもできることがあるのが嬉しい。
ただみんなでひとつの作品を完成させる場合の問題点として、個人の得意不得意で出来に差がでてしまうことが考えられます。みんなで一緒に楽しめば良いという人と、クオリティを重視する人の間で温度差が生まれる可能性があるかもしれない。

ここでサイアノタイプ技法なのですが、作品を作る際にも作業が簡単なので技術にあまり差がでないのではないかと。各自好きなものを置いても図が綺麗に浮かび上がるし、光の照射時間や明暗によって濃淡が違ってくるので、既存の模様を利用しても同じ作品にならないです。また、色が青のグラデーションに限定されるので、一人一人がばらばらに作ったものを並べても統一感がでます。

あと色についてちょっと思ったこと。
銀島さん曰く青というのは色覚障害があっても判別しやすい色なのだそうで。サイアノタイプによる青色なら発色が良く、暗くなりすぎないので色覚障害があっても、制作と作品両方楽しめそうだなと。またれみれみさんが色の持つイメージについて書いてましたが、 青は清涼感があるので病院のイメージを損なわずに展示できます。
展示については、壁に直接描くのと違って作品の入れ替えができるというメリットも。

試薬を使う下準備は事前にすませておき、安全面にしっかり考慮すれば、患者さんのための参加型ホスピタルアートとして十分成り立つのではないかなと思います。

参考:
Wikipedia 青写真の項目(2011/07/23)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%86%99%E7%9C%9F 

Noriaki Hayashi Art Works(2011/07/24)
http://nori884.net/index.htm
こちらはサイアノタイプについて調べてて気になったものもの。
この人の作品で10cm四方の紙をタイルのように並べているものがあるんですが、
病院の壁でこういった展示をしてみても良いのではないかなーと。

2011年7月19日火曜日

香りの可能性について

前回の続きです。芸術体験を共有する手段として香りを利用する場合、どういった活用ができそうかについて考えてみます。
基本的にはアート作品をイメージさせる香りを発生させてそれを楽しむという形態で、作品自体に香りをつけるか、空間そのものに香りをつけるかを選択することになると思います。

ここでヒトの嗅覚の仕組みをちょっと確認しておきます。
ヒトがにおいを感じるのは、においに対する受容体ににおいの成分となる分子が刺激を与えるからです。受容体は鼻腔内の嗅粘膜に嗅細胞というのがあるのですが、その先端に10〜30本ある繊毛(医学的には線毛とするらしい。私も線毛で習った気がする)に存在します。
つまりヒトの目には見えないけどごくごく小さい物質がにおいの元で、香りをこちらでコントロールしようとする場合、この物質をどこかから持ってくるなり作るなりしないといけないということになります。
ただこの物質は必ずしも現物のにおいとは限りません。例えば、バラの香りの商品が発売されているとき、バラそのものが入っているのではなく、Geraniolというバラに似た芳香を持っているモノテルペノイドを使用するといった具合です。

アートへの利用を考えた場合、もし作品を表す香りを持った物(花や食べ物など?)があっても、直接現物を持ちこめなかったり、香りが次第に変化してしまうようなものよりは、「〜っぽい香り」の物質を作って用いるのが良いのかなと。

ただ展示の問題として、1つの空間に同じ芸術家の作品があるのか、多数の芸術家の作品があるのかによっても変わってきます。作品ごとに違う香りをつける場合、隣り合う作品との兼ね合いが大事で、香りの強さ、ある程度の間隔をあけることが必要になってきます。
音の場合も同じですが、目に見えないものをプラスする場合、いかに競合させずに協和させるか重要になってくるかと思います。

嗅覚は他の感覚に比べて比較的長い時間私たちの記憶の中で記憶を維持できるらしいとのことですが、例えば昔懐かしい香りといってもひとつひとつ鮮明に覚えているわけでありませんし、作品っぽい香りをひとつひとつ作っていくよりは、全体の作品を通してイメージされる香りを展示室という空間で体験した方が、「ひとつの香り」が「誰とどこへ何を見に行った」という記憶として鮮明に残るのではないかと考えます。

アートからは離れますけど、家の香りというのも利用できそうな気がします。普段は気に留めていなくても、病院や老人ホームなどでの生活を余儀なくされた場合、部屋が家の香りになるだけで落ち着いて生活できる、ということもあるのかなぁ・・・と思ったり。

参考:
ビジュアル生理学(2011/07/19)
http://bunseiri.michikusa.jp/

日系ビジネス 「香り」「匂い」をカタチにするとどうなる?(2011/07/18)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100827/215998/

日本化学物質辞書web weblio学問 geraniolの項目(2011/07/19)
http://www.weblio.jp/content/geraniol

Wikipedia 繊毛、線毛の項目(2011/07/19)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%8A%E6%AF%9B
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%9A%E6%AF%9B

2011年7月18日月曜日

においと生活と

においにユニバーサルデザインってあるのだろうか・・・?
自分のグループがユニバーサルデザインという方向性に向かい始めたとき、色や音があるなら、嗅覚関係もあるのではないかなと思ったのが、このブログで取り上げてみようと思ったきっかけなのですが。

ちょっと調べてみると、においを共有しようという試みが色々と行われていることが分かりました。
特に気になったのは以下の「香りとユニバーサルデザイン」のコラム。
http://www.uchida.co.jp/company/universal/column2-5.html
内田洋行というオフィス、教育現場、情報関連の事業を行っている企業のユニバーサルデザインに関するページから見つけてきました。

先天的に聴覚障害だった女の子が、絵本やマンガで読んだ擬態語が実際にある音だと思っていたという話がすごく心に残りまして。
星ってぴかぴか、きらきらと表現されることがわりと多いと思うんですが、それは単なる表現であって実際そういった音は聴こえないというのは、音が聴こえているからこそ分かることなのだなと。
音がないだけで情報がいかに限定的になってしまうか、という現実を改めて意識しました。

確かににおいって結構重要な気がします。
においによってこれは危ないって感知していることもありますし。
例えば火山ガスに含まれる硫黄成分等が多いほど動植物の致死率が上がりますが、ものすごい腐乱臭になるので、逆に気づくのも早くなります。日常生活でもガス漏れに気づくきっかけはガスのにおいによるものです。
最近は消臭ブームなのかなんなのか、においというものに対して過剰になっているところがある気がしますが、ヒトにとって不快なにおいを感じられるというのは、ある意味、危機を察知するスキルの向上にもつながっていると思うんですけどね。

また自分の体験だと、においを一番意識するのは風邪のときでしょうか。
鼻がつまってにおいがなくなると食べ物の味が分からなくなります。
甘いとか辛いとか酸っぱいだとかはっきりした味は分かるんですが、旨味がないというか単一的にしか感じられないのですね。
そういうとき「おいしい」って思うのは見た目と味だけではなくて、においも関係しているのだろうなぁ・・・と。

嗅覚を感じられるなら、誰にでも同じにおいが入ってきます。それは障害があってもなくても国が違っても世界共通と言えます。ただそのにおいに対する感じ方は人によって違うので、そこから得られる情報は異なりますが。

あと、ふと思ったのが「におい」と「香り」って言葉のニュアンスについて。
良いにおいには「臭い」は使わないけど、「匂い」ならどちらでも使っていたり、逆に不快なにおいには「香り」は使わなかったりとか。
そんなわけでここまで「におい」という言葉を使ってきたのですが、実際に芸術への適応を考えるとしたら「におい」のように良し悪しどちらも考えられる言葉よりは「香り」を使った方が無難のような気がしますね・・・。

そんなわけで同じ芸術を体験を共有する手段として「香り」を利用する場合、実際どういった活用ができそうか私なりに考えたことをまとめておきたいと思います。次回。

2011年7月4日月曜日

アートへの関わり方

わりと気軽に見に行ける展示はないのかな? と思って調べているうちに、私が今まで考えていたホスピタルアートとは違った形のものを見つけました。
今回はその違いから今後のアートへの関わり方について考えてみたいと思います。

私が最初に見たホスピタルアートは、芸術家の方が病院に入って行くという形でアートとして成り立たせており、単純に「病院でアート作品を見ることができる」のがホスピタルアートなのだと考えていました。以前見てきた森口ゆたかさんの展示も、徳大病院のホスピタルギャラリーもその領域です。
しかし2010年の香川小児病院におけるホスピタルアートでは、写真家である森合音さんという方が中心となり、入院患者さんも一緒に壁に絵を描いて作品を完成させていました。これは今まで私が考えていたものとは違うなと思いまして。

何が違うかというと、前者は受動的なのに対して、後者が能動的である点です。
ホスピタルアートという言葉自体まだ知名度が低く、作品の数も少ないですが、私が見た限りでは基本的に受動的なものが多いように思います。
実際、誰が制作を行っているかというと、芸術大学の学生や講師であったり、もしくは地元の芸術家やボランティアの方々であったり、患者さんはアートというものを提供されている状態です。

ここで一言つけたしておきますが、受動的な展示形態が悪いということではないです。参加するより見るのが好きという人もたくさんいると思いますし。
制作がどういう形で行われるかというのは、病院側がどういった目的でホスピタルアートを行おうと思ったかにもよるのではないかと思っています。

展示場所に注目すると対象者や目的がなんとなく分かるのではないかと。
例えばロビーは患者さんだけでなく、お見舞いや付き添いに来た人も気軽に見ることができます。これは待ち時間を快適にすること、病院に対するイメージアップが考えられる。治療室の場合も機械に装飾するなど、これも冷たい機械の印象を払拭するといった意味合いが強い。また展示室、所謂ホスピタルギャラリーという形態をとっている場合、地元の作家さんの展示を中心にしていることが多く、地域との密着にも重点を置いているように感じます。
さらにこれらの展示が玄関から奥になるほど、病院への関わりが強い人のためのものと言えます。

最初は病院という空間の快適さを求めるものだったのが、次第に地域の方との交流へと広がり、さらに患者さん自身が参加することで自分で自分の心を癒していけるように、ホスピタルアートも多様化してきているのではないかと思いました。

去年LEDアートフェスティバルに参加してきましたが、展示形態として、イベント参加者自身が作品の一部になったり、参加者も作品づくりに携わるといった体験型のアート作品というのがありました。観光として地域とアートが一体化しているものなど、近年、体験型アートは増えてきているように思います。
この先、ホスピタルアートも入院設備のある病院を中心に患者さんと一緒に作品を作っていくものも増えてくるのではないかなと。
病院にいてもアートに参加できるというのは、誰もが楽しめる芸術を目指す上で大きな意味があるように感じます。


と、ここまで説明するのに伝わりやすいと思ったので「作品」という言葉を使ってきたのですが、私の方がホスピタルアートを作品と呼ぶのに違和感がありまして。
芸術としては作品で良いんですが、単なる作品の展示でなく、病院にアートを加えて創られた環境を果たして作品という言い方で括っていいのだろうかと思ってしまう。

自分でもなんでだろうと思ってここしばらく考えてたのですが、芸術そのものに対するイメージが関係しているのかもしれないですね。
ずっと娯楽として展示を見に行くという接し方を続けてきたので、娯楽としての芸術作品と医療を組み合わせてしまって違和感を感じている気がする。もっと芸術に対して様々な面があることを理解して、柔軟に受け入れていかねばと思います。


参考:
artsproject(2011/07/04)
http://www.arts-project.com/hospitalarts/project/project16/index.html

日テレNEWS24 心の薬「ホスピタルアート」香川・善通寺市(2011/07/04)
http://www.news24.jp/articles/2010/02/18/07153795.html