一番最初の記事にも書きましたが、このブログはホスピタルアートについて調べるのと同時に、学校の授業内で結成したグループで「芸術と技術の融合」というテーマについて考え、各自の視点によってブログの内容を分担したうちのひとつになります。
まず最初にどういった内容を取り上げるかを話し合ったとき、メンバーそれぞれが例としてあげたものが違い、ひとつの例のみにしぼって提案していくのは難しいと感じました。
そこで融合するとどうなるのか考えてみると、それは生活が便利になったり、人との関わりが生まれることで、最終的には誰もが生活しやすい空間を作ること、すなわちユニバーサルデザインの考え方が重要なのではないかと。
その中でも特に芸術というものに焦点をあて、『全ての人が楽しめるような新しい芸術形態』を模索していくという方針になりました。
ただ各自がそれぞれ違う内容でブログを書き始めたこともあり、先週の発表では各自の分担が分かりにくいと指摘を受けたので、今週はメンバーに相談してカテゴリ分けを再度考え直しました。使いやすさ、色、音、においなどユニバーサルデザインを考えていけそうな部分ごとに分け、元々の各自の記事に関係するものを足していくという形をとることに。
そんなわけで先週から今週にかけてこのブログの存在意義について考えていたのですが、色々と調べているうちに、私のユニバーサルデザインに対する意識が随分偏っていることに気づきました。
そういえば徳大病院のホスピタルギャラリーでは鳥の展示だけでなく、鳥の声が聞こえていて、目が見えなくてもそこに鳥の空間を感じられる配慮があったのだなと思いまして。
前回の記事で、病院にも展示があれば入院患者さんの気晴らしにも良さそうと気軽に書いてしまったのですが、手足が不自由な方を前提としていて、視覚や聴覚といった器官に障害がある場合のことを考慮できていなかったなと。
もっと様々な人に配慮できるよう意識を高めていく必要があると感じました。
で、このブログなのですが。
ホスピタルアートというのは一つの芸術のあり方であって、技術と結びついたものとはやはり言えないですね。障害がある方が技術によって生活しやすい環境になるのは、ユニバーサルデザインそのものの領域になってしまいますし。
なので、ユニバーサルデザインを考えるにあたって、医療現場で実際どういう配慮が行われているか示すこと、さらにホスピタルアートに技術を加えることでより良い展示形態がとれないか考えてみようかなと。
音や色については他メンバーが担当してくれるので、私はにおいという視点から。
嗅覚は視覚や聴覚より好き嫌いが割れそうなので、すべての人に心地よい香りというのはおそらく難しいですが、同じ空間を共有する一つの手段として使えないか検討してみたいと思います。
ここ1年悩んできた芸術と化学を組み合わせる目標にもちょっと近づいてきた気がする。
2011年6月27日月曜日
2011年6月19日日曜日
ホスピタルギャラリー
昨日、徳島大学病院にあるホスピタルギャラリーbeを見てきました。
一般向けに開放されていて、病院そのものに用事がなくても展示を見ることができます。
今は前田誠之助さんという方の写真や木彫りの鳥の作品が展示されていました。
一般向けに開放されていて、病院そのものに用事がなくても展示を見ることができます。
今は前田誠之助さんという方の写真や木彫りの鳥の作品が展示されていました。
「徳島の鳥たち バードカービング展」
日時:2011年6月1日ー2011年9月30日
場所:西病棟1Fロビー ホスピタルギャラリーbe
病院の中にギャラリーがあるってどんなだろうと思って見に行ったのですが、期待より緊張がちょっと上回ってた感じでしょうか。普段こちらの病院にお世話になる機会がなく、さらに工事中ということもあってどのルートを通れば良いのか迷ってしまい、内心あたふたしていました。
受付をこえると、白い壁に黒基調の展示ケースがあり、中のカラフルな鳥たちが目をひきます。
木彫りだけでなく、鳥を紹介するコメントにもこだわりを感じました。思わず笑ってしまうような内容もあって面白かった。私はヤマガラという鳥の作品が好きです。
またどこからともなく鳥のさえずりが聴こえてきて、病院にいることを忘れさせます。どちらかというと無機質な展示場ですが、鳥の材質が木ということもあって全体的にぬくもりを感じさせる空間になっていました。
外来患者さんの受付のある通路ということもあって人通りも多く、様々な年代の方が展示を見るのに足をとめているのが印象的でした。
とはいえ、普段見に行ってるようなギャラリーとは勝手が違いますね。
実際に行く前にこのギャラリーの展示を見に行かれた方のブログを見ていたら写真が載せられていたので、作品の写真も気軽に撮れるところなのだろうかと思っていたのですが、 何も書かれていなくて、あれ?って思いましたし、誰かに聞こうにも近くにあるのは患者さんのための受付ですし・・・。
作品として展示されている以上、確認がとれないままブログには載せられないなと判断。
また展示だけ見に来る人というのも少なそうです。
病院併設というだけあってちょっと展示を見に来るには敷居が高いかもしれない。
私の興味のある展示もたくさんやってたみたいなんですが。
元々のコンセプトが
「患者様にいかに快適な治療・療養環境を提供できるか」
「職員にはいかに快適な職場環境を提供できるか」
ということなので、そのコンセプトを再確認してきた気がします。病院での待ち時間の時間つぶしや、病院が苦手な子の意識改善、入院されている方の気晴らしに良さそうだなと思いました。
ただ誰でも見に来れるというのは、気軽に楽しめる一方で、医療機関としての安全性は低くなります。病院は一人一人を管理する空間ではないですが、教育機関での関係者以外立ち入り禁止の増加と比べると対照的だなと思いました。そういった時世であることを考えると、気軽すぎないのが丁度良いかもしれません。
徳島大学病院には、ギャラリーの他にも、一般の方向けに解放されているレストラン「ウェルカ」があって、こちらもまた機会を見つけて行ってみたいのですが、何も用事がないときに病院に出かけるというのはなかなか気力がいりそうだなと。
まあそう思ったことを忘れてふらっと出かけるのが私なんですけどね・・・!
このギャラリー2009年に出来たらしいのですが、最近調べるまで全然知りませんでした。まだ大阪にいた時期で、徳島のニュースなどチェックしていなかったのがまずかったですね。気になる展示を見逃してしまったのが残念かな。
定期的にいろんな展示をやっているみたいなので、もし立ち寄る機会があれば一度見てきてほしいなと思います。
参考:
フォーラム国立大学病院
http://nuh-forum.umin.jp/200912/news01.html(2011/06/19)
徳島大学病院イベント案内
2011年6月13日月曜日
日常を再構成すること
地域文化に関する授業で、観光によって文化が再構成されるという話があったのですが、そのことでちょっと思うことがありまして。
バリは「最後の楽園」として欧米により再発見され、観光開発されているが、それはバリそのものというよりはバリのイメージを追い求める観光客のためのものである。伝統的な純粋なバリ文化ではなく、より観光客から見てバリらしいと思うものの抜きだしであり、それが加速することでバリに住んでいる人たちが、観光的なイメージに自分たちを合わせようとしてしまうことがあるのを「バリのバリ化」という。また日本でいうと、例えば大阪は「こてこての大阪」と言われるまさに大阪という文化があるが、もし大阪に住んでいる人が観光を意識して自分たちをその「こてこて」に合わせようとするなら、それは「大阪の大阪化」とも呼べるかもしれないね、といった内容。
このそれらしく合わせようとしてしまうという言葉がひっかかるのですね。
アートって、日常を非日常的に再発見できるものだと私は思っているのですが、再発見が再構成になってしまうと、本来のものとはやはり違ってしまうのではないかと。
去年、瀬戸内国際芸術祭2010を見てこようと思って、直島、男木島、女木島に行ってきたんですが、私は島の人たちの生活にアート要素を加えたものを見ているわけで、そういう組み合わせが面白いと思って見ていたけれど、もし島の人たちが本来の生活でなくアートに自分たちを合わせてしまったとしたら、それは何か違うなと。島の島化・・・いやアート島のアート島化か。それも含めて文化になってしまえば、もうそんな心配しなくて良いのかもしれないですが。
ホスピタルアートもそういった可能性があるのではないかと思いまして。
医療にアートを加えていくことで、医療が親しみやすいものになって、でもそれだけではないなと。医療はやっぱり医療で、それを支える人たちは、人の命を扱うからこそ絶対に間違えられないという状況で仕事をしていることを理解して接する必要がある。実際、見えない部分ですごく厳しい。
うまくまとまってなくて申し訳ないんですが、良い部分の抜粋だけではだめだと思うわけです。
新しいものを加えることで本来のものが変化していくのを良いと見るか、本来のものをどれだけ残していくかって難しい。伝統工芸等も然り。
芸術と技術が融合して絶対に良くなるとは限らなくて、互いの兼ね合いが大切なのかなと思います。
バリは「最後の楽園」として欧米により再発見され、観光開発されているが、それはバリそのものというよりはバリのイメージを追い求める観光客のためのものである。伝統的な純粋なバリ文化ではなく、より観光客から見てバリらしいと思うものの抜きだしであり、それが加速することでバリに住んでいる人たちが、観光的なイメージに自分たちを合わせようとしてしまうことがあるのを「バリのバリ化」という。また日本でいうと、例えば大阪は「こてこての大阪」と言われるまさに大阪という文化があるが、もし大阪に住んでいる人が観光を意識して自分たちをその「こてこて」に合わせようとするなら、それは「大阪の大阪化」とも呼べるかもしれないね、といった内容。
このそれらしく合わせようとしてしまうという言葉がひっかかるのですね。
アートって、日常を非日常的に再発見できるものだと私は思っているのですが、再発見が再構成になってしまうと、本来のものとはやはり違ってしまうのではないかと。
去年、瀬戸内国際芸術祭2010を見てこようと思って、直島、男木島、女木島に行ってきたんですが、私は島の人たちの生活にアート要素を加えたものを見ているわけで、そういう組み合わせが面白いと思って見ていたけれど、もし島の人たちが本来の生活でなくアートに自分たちを合わせてしまったとしたら、それは何か違うなと。島の島化・・・いやアート島のアート島化か。それも含めて文化になってしまえば、もうそんな心配しなくて良いのかもしれないですが。
ホスピタルアートもそういった可能性があるのではないかと思いまして。
医療にアートを加えていくことで、医療が親しみやすいものになって、でもそれだけではないなと。医療はやっぱり医療で、それを支える人たちは、人の命を扱うからこそ絶対に間違えられないという状況で仕事をしていることを理解して接する必要がある。実際、見えない部分ですごく厳しい。
うまくまとまってなくて申し訳ないんですが、良い部分の抜粋だけではだめだと思うわけです。
新しいものを加えることで本来のものが変化していくのを良いと見るか、本来のものをどれだけ残していくかって難しい。伝統工芸等も然り。
芸術と技術が融合して絶対に良くなるとは限らなくて、互いの兼ね合いが大切なのかなと思います。
2011年6月9日木曜日
回想する
前回の記事でも書きましたが、先日森口ゆたかさんという方の展示を見てきました。
この展示で、大阪市立大学付属病院プロジェクト<あなたの”いのち”を支える手>で使われたタペストリーを見ることができました。
実際にこれが病院にあったのかーと思うと、なんとなく不思議な感じが。
もし自分が現場の人としてこれを見ていたらすごく照れくさいだろうなと思ってしまう。
アートの面白いところは、現場の人にとっては当たり前でも、それが当たり前でない人はたくさんいるということに気づかせてくれるところだと思います。 昔の私にとって化学ってそこらへんに転がってるようなものだったんですが、去年買った黒田武志さんの『不純物100%』という作品集の中に化学記号が使われている作品があって、化学をすごく神秘的にとらえているように思えて、ちょっとした衝撃を受けたのを覚えてます。
医療って表に見えないところでもたくさん人が働いていて、支えられていて、そういうことをもう一度再認識させてくれるのではないかと思いました。
ホスピタルアートではないですが、他の作品もとても素敵でした。
本当は別の展示を見たついでにふらっと立ち寄ったんですが、見てきて良かったなーと。
暗い空間を作品に沿って進んでいって、ガラスの部屋に辿りついたとき、人の体内を巡っているようななんともいえない気分になりました。人のつながりとか存在とかぼんやりと思い浮かぶような感覚。
丁度そういうことについてそのとき考え込んでいたので、昔も今も支えてくれる手がたくさんあったこと、あることを体感してきた気がします。
と、作者の意図とは違うかもしれないんですが、私はそんな感じで見てきました。
<LINK>と<あしたの景>という作品が好きだったのでおすすめしておきます。
6月26日まで開催されているので、お時間のある方は良かったら見に行ってみて下さいなー。
「森口ゆたか−あなたの心に手をさしのべて」
期間:2011年4月29日ー2011年6月26日
場所:徳島県立近代美術館
この展示で、大阪市立大学付属病院プロジェクト<あなたの”いのち”を支える手>で使われたタペストリーを見ることができました。
実際にこれが病院にあったのかーと思うと、なんとなく不思議な感じが。
もし自分が現場の人としてこれを見ていたらすごく照れくさいだろうなと思ってしまう。
アートの面白いところは、現場の人にとっては当たり前でも、それが当たり前でない人はたくさんいるということに気づかせてくれるところだと思います。 昔の私にとって化学ってそこらへんに転がってるようなものだったんですが、去年買った黒田武志さんの『不純物100%』という作品集の中に化学記号が使われている作品があって、化学をすごく神秘的にとらえているように思えて、ちょっとした衝撃を受けたのを覚えてます。
医療って表に見えないところでもたくさん人が働いていて、支えられていて、そういうことをもう一度再認識させてくれるのではないかと思いました。
ホスピタルアートではないですが、他の作品もとても素敵でした。
本当は別の展示を見たついでにふらっと立ち寄ったんですが、見てきて良かったなーと。
暗い空間を作品に沿って進んでいって、ガラスの部屋に辿りついたとき、人の体内を巡っているようななんともいえない気分になりました。人のつながりとか存在とかぼんやりと思い浮かぶような感覚。
丁度そういうことについてそのとき考え込んでいたので、昔も今も支えてくれる手がたくさんあったこと、あることを体感してきた気がします。
と、作者の意図とは違うかもしれないんですが、私はそんな感じで見てきました。
<LINK>と<あしたの景>という作品が好きだったのでおすすめしておきます。
6月26日まで開催されているので、お時間のある方は良かったら見に行ってみて下さいなー。
ホスピタルアート
医療と芸術の組み合わせからホスピタルアートについて調べてみようと思ったのですが、そもそもホスピタルアートってなんぞやという話です。
私がこの言葉自体を知ったのは本当につい最近で、今、徳島県立近代美術館で、森口ゆたかさんという方が展覧会をされているのですが、病院や医療福祉現場にアートを届ける活動をしていらっしゃる方で、実際のホスピタルアート作品の一部や、それに影響を受けた作品を見て、こういう概念があるのだなと初めて意識しました。
そういわれてみれば、近場だと徳島大学病院にもホスピタルギャラリーってあったなと。
詳しく定義を知らなかったので、とりあえずネットでざっくりと調べてみたところ、どうやら日本では最近広まってきているアートの在り方のようで。
『外部から寄贈された絵画を壁に飾るだけでなく、病院側が主体的に絵画や音楽などの芸術を取り入れ、患者の視点にあった施設の環境改善に取り組む動き。芸術の力を借りて、患者の心を癒す方法が注目されている。欧米で約30年前に広まったが、日本でも最近小児科を中心に導入する病院が増えている。
絵画や造形作品だけでなく、音楽や映像など幅広い分野の芸術を通して医療現場を快適な空間にすることを目指す動きでもある。』
参考:http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2006000337(2011/06/09)
これだけ見ると芸術ではあるけど、技術的な側面はなさそう・・・に思えます。
それでも、あえてこのテーマを選んだのは、直接的でなくても医療技術に関する問題と、芸術というものが融合することで出てきたアートの新しい形だと感じたからです。
医療技術というのはアナログ、デジタル両方の側面を持っていると思います。
直接自分の目で見て診断する、機械を使って診断する。
機械化されて診療がどんどん便利になる一方で、患者さんだけでなく医療機関の内部でも深く話す機会が減ってきて、互いの信頼関係が希薄になっている気がします。私は昔から医療がすごく身近な存在だったけれど、いざ実際に自分が勉強してみたとき、思ってたのと違うなあ・・・と。
現場を快適にすることは、互いの関係をより良くすることにもつながるのではないかと。このあたりを掘り下げていくことで、これから先自分のやっていきたいことが見えてくると良いなと思ってます。
私がこの言葉自体を知ったのは本当につい最近で、今、徳島県立近代美術館で、森口ゆたかさんという方が展覧会をされているのですが、病院や医療福祉現場にアートを届ける活動をしていらっしゃる方で、実際のホスピタルアート作品の一部や、それに影響を受けた作品を見て、こういう概念があるのだなと初めて意識しました。
そういわれてみれば、近場だと徳島大学病院にもホスピタルギャラリーってあったなと。
詳しく定義を知らなかったので、とりあえずネットでざっくりと調べてみたところ、どうやら日本では最近広まってきているアートの在り方のようで。
『外部から寄贈された絵画を壁に飾るだけでなく、病院側が主体的に絵画や音楽などの芸術を取り入れ、患者の視点にあった施設の環境改善に取り組む動き。芸術の力を借りて、患者の心を癒す方法が注目されている。欧米で約30年前に広まったが、日本でも最近小児科を中心に導入する病院が増えている。
絵画や造形作品だけでなく、音楽や映像など幅広い分野の芸術を通して医療現場を快適な空間にすることを目指す動きでもある。』
参考:http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2006000337(2011/06/09)
これだけ見ると芸術ではあるけど、技術的な側面はなさそう・・・に思えます。
それでも、あえてこのテーマを選んだのは、直接的でなくても医療技術に関する問題と、芸術というものが融合することで出てきたアートの新しい形だと感じたからです。
医療技術というのはアナログ、デジタル両方の側面を持っていると思います。
直接自分の目で見て診断する、機械を使って診断する。
機械化されて診療がどんどん便利になる一方で、患者さんだけでなく医療機関の内部でも深く話す機会が減ってきて、互いの信頼関係が希薄になっている気がします。私は昔から医療がすごく身近な存在だったけれど、いざ実際に自分が勉強してみたとき、思ってたのと違うなあ・・・と。
現場を快適にすることは、互いの関係をより良くすることにもつながるのではないかと。このあたりを掘り下げていくことで、これから先自分のやっていきたいことが見えてくると良いなと思ってます。
2011年6月6日月曜日
はじめに
学校の授業の一環で、グループごとにテーマを決めてブログを書くことになりました。
私のグループでは「芸術と技術を融合を提案する」ことについて。
芸術と技術の融合というと、すごく幅がある。
芸術と技術の融合というと、すごく幅がある。
私は数年前に化学や医療を専門とする学校にいて、そこをやめて今の大学にいるのですが、医療そのものにやはり思い入れがあるので、医療方面から美術と結びついていく過程について考えてみたいなと思っています。
このブログでは、それについて私なりに調べたこと考えたことを書いていく予定です。
ゆるく活動しますのでよろしくお願いしますー。
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